つれづれなる侭に⑴ 

平成20年8月20日 晴 朝、弘子さんが福善寺さんの御見舞を取りに来て、11時頃迄色々話をしておりました。綺麗なお花も貰い、早速に仏花を替えさせて貰いました。お昼からこそこそと廊下の周辺を片付けておきました。少々気分が悪く4時頃迄休んでおりましたが…

台風21号による深刻な被害についてのメールを再掲

ご無沙汰いたしております。 みなさまにおかれましては自適で穏やかにお過ごしのこととお慶び申し上げます。 さて、当月4日、ふる里海津の町は、午後2時30分ごろから、台風21号の強風圏内に入り、推定毎秒50メートル、或はそれを越えたのではないか…

「歴史街道をたどる 121 湖の道 海津」(京都新聞滋賀版2018年9月2日)について

「----大谷吉継が、中ノ川を新たに開削して奥田湖に船を停泊できるようにした----」 ①「東町 / 里老語云 古ヘ此町ニ川アリ 邑後ノ沼水ヲ湖ニ注グ 東山ノ麓ヨリ五六十間許西南也。大谷氏中ノ川ヲ掘玉フ 後其川跡人家トナリト云々」 ②「中村町ト中小路町トノ間…

井関(=三田村)家系図

古川幸太郎さんの短歌(京都文芸より)

こぼれたる種より生えし朝顔に細竹立てて蔓巻くを待つ 2017.8.21 かぶりつく西瓜に頬を濡らしつつ里帰りの児は口もきかずに 2017.9.4 集落の小さき家具屋の店先に無人販売のイチジク置かる 2017.10.9 少年の声となりたる児の電話久しく逢わねば敬語の混じる …

弓光山宗正寺の御縁記 

抑々 此処の御厨子内ニ安置し奉る 本尊十一面観世音菩薩ノ来由ヲ尋奉ルニ 当寺開基大檀那御所尼ニと申奉ハ 藤原鎌足公ノ御孫子ニテおわし満しケル者ニハ 観世音之御告ニヨリ泰澄大師ニ銘じ かやノ木ヲ以テ作ラセタ満ヘル霊像なれハ右 大将頼朝公仏供御寄付ト…

梅村敦子さんの短歌(近江文芸より)

夭逝の画家の自画像切なげにあと数日で終戦なるに 2017.8.20 竹林の闇より聞ゆる法師蝉あと幾日の命つなぐや 2017.9.3 車内にて大声嚥下強化策パパパカカカタタタ 2017.11.26

梅村敦子さんの俳句(近江文芸より)

咲き終へし蒲公英風を待つ植田かな 2017.6.11 梅を干す匂ひ微かや裏通り 2017,6.25 片陰に入りて続きの立ち話 2017.7.9 月の道影の付き来る通夜帰り 2017.9.17 結ばれぬ片恋ありし曼珠沙華 2017.10.15

伊庭健博さんの俳句(近江文芸より、京都文藝よりの冠詞を含む)

雨ごとに緑増しゆく植田かな 2017.6.11 都大路若いバトンが駆け抜ける(冠詞) 2017.7.17 腕白の自転車籠の兜虫 2017.8.20 西日受け頬紅の案山子かな 2017.9.17 秋風や湖面に崩れ比良の影 2017.10.1 藁の香を纏ひて還る刈田道 2017.10.15 パレットに残る絵の…

伊庭健博さんの短歌(近江文芸より)

街灯の光を浴びて降る雪の舞ひ散る様を独り眺むる 2017.3.5 休日の鯖街道を登りきて山びこを聞く熊川の宿 2017.5.14 三人の息子交互に剣玉す競ふ中にも個性現る 2017.5.28 門先にじっと動かぬかたつむ物珍しく吾子の眺むる 2017.7.23 顔赤め全身で泣く吾子抱…

海津 勝さんの短歌(近江文芸より)

県境の雪山よりもなお高く二羽の鳶舞う早春の空 2017.3.5 年金と持病の話題に盛り上がりグランドゴルフの休憩終る 2017.5.14 午前五時目覚めて想うその昔母と苗取りし水の冷たさ 2017.5.28 待ちかねし夜半の雨音心地よく植えし野菜を思いて眠る 2017.6.11 そ…

中川徳司さんの短歌(近江文芸より)

母逝きて三年毎夜の正信偈額の遺影も微笑みて見ゆ 2017.3.5 饗庭野の演習野砲の低き音垂れ込むる雲に響きて重し 2017.4.16 を去る四百年の昔より漁権争いし古文書読む 2017.5.14 春の湖オイサデ漁のコツを聞く追い手受け手の阿吽の呼吸と 2017.5.28 あざやか…

ISU World Allround Speed Skating Championships 2018

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海津村史料 #31 井関家墓所

明治四十一年五月十日 岩谷円脩師ト共ニ大久保勇太郎(西浜人也 井関氏ニ仕フト云フ)ヲ教導トシ井関氏代々ノ墓ヲ大字西浜字別所ノ山ニ展ス(欄外に、地名 ミハカ)麓ヨリ登ルコト二丁許路傍右側ニ繁石アリ 頂平ニシテ大サ二畳許(焼香石ト云フ) 亦経ルコト…

海津村史料 #30 大日本地名辞書より

大日本地名辞書 吉田東伍氏著 明治四十年十一月刊行 冨山房 高島郡 北は若狭及越前の国界を限り 東は湖水及び伊香郡に至り 西は丹波南山城及滋賀郡に至る 西近江の北部にて中世以降は江北の屬都なり 朽木谷は安曇川の上游に在りて山谷頗る広し 高島は今都衛…

海津村史料 #29 松平大貮傳

〇高島郡報ー明治三十七年七月十五日刊行 第二一三号ー 松平大貮伝 海津村正行院ハ元治元年福原越後ノ事ヲ発スルニ関シ金沢藩士贈従㈣位松平康正屠腹自盡セシ処其灰墓今尚同時ノ境内ニ存ス 当時ノ事状ハ前田侯爵家所蔵ノ松平康正略伝ニ明カナリ 即チ左ノ如シ…

海津村史料 #28 インナイ

我幼年ノ頃マデ西浜字印内今ノ畑地アル辺ニ農家四五戸アリシ 按ニ此処ニ住メル者ハインナイト称シ〇〇〇ナリトシテ村民〇〇ヲ為スヲ〇マス 殆ト〇〇セサリシカ維新後ハ皆本村ニ移レリ 今ハ知シ者ナキ程ニナリシ 伝ヘ云ヒシイン内は院内ニシテ(君カ崩御ノト…

海津村史料 #27 願慶寺什物浅井郡トアルモノ

㈠ 明応五年酉辰六月 方便法身尊像 本願寺実如 ㊞ 江州浅井郡海津東浜岩谷 願主 釋 空珍 ㈡ 慶長六辛丑十二月五日 教如寿像 本願寺釋 教如 ㊞ 江州浅井郡海津岩谷町 願慶寺芾住物也 願主 慶尊 ㈢ 万治三年庚子初夏廿五日書也 宣如上人真影 本願寺釋 琢如 ㊞ …

【NHK】引きこもっていた自分に「1番が取れる日が来るよ」と教えたい 村岡桃佳 大回転・表彰式<ピョンチャン>

海津村史料 #26 小字とその小分けについての聞取りメモ

中村町 裏町 江戸町「同(明和)六年五月中村町裏町大火。夜九ツ時より江戸町東より西へ悉く延焼せり。」(名著出版刊「高島郡誌」復刻版25頁) 前田町 ボンサン橋 北ノ端ニ 馬ザンマイ(三昧) 検(毛)見通 湯屋谷 ルビ<ヤンタニ> 湯女子町 ルビ<イナゴ…

海津村史料 #24 海津天神社由緒記など

〇 郷社天神社由緒 滋賀県高島郡海津村大字海津小字上尾鎮座 社伝 往古ハ連年御代参 御撫物御奉納相成 勅願所トシテ此時ノ社領百三十石 朝廷ヨリ御寄付相成候処 元亀年間織田氏ノ兵火ニ罹リ社殿不残灰焼灼 社領迄紛失ス 依之 太閤秀吉公ヨリ天下安全ノ御祈祷…

海津村史料 #23 社寺由緒

〇 称名寺 旧名 旦過堂 天正年間僧行基 聖武天皇ニ奏シテ小字旦過ニ創立ス 陛下行幸アリテ寺号ヲ宣命シ玉ヒ旦過堂トス 寛和元年天台ノ僧恵心之ヲ再興ス 時 花山法皇竹生島参来ニ際シ当堂之ヲ案内シ奉リキ 以后当堂渡島ノ案内寺トナレリト 又海津信濃守氏寺ナ…

海津村史料 #22 海津之城私考

城地之説 浅井三代記ヲ閲ルニ永正十五年八月ニ浅井備前守亮政卿数千騎ヲ以テ始テ高島郡ヲ責取玉フ 高島郡之地頭郷士皆不敵対シテ幕下トナル 大溝ノ城主高島玄蕃独不従命ニシテ戦死スト云々 按ニ此時始テ高島郡地頭郷士浅井家ノ幕下トナリシ也 此時海津城之名…

海津村史料 #21 閑窓随筆 (六)

●高木浜再為海津町ト之説 近境里人語リ伝ヘテ云 知内浜ノ城取立ノ時城之左ノ方高木浜ニ東浜西浜ノ人家ヲ引移シテ海津町ト称シ 城ノ右方ニモ人家ヲ引移シテ知内町ト称セシト云々 又云 知内城廃レシ時東浜西浜ノ人家皆元ノ住所ヘ移リ帰ルト云々 按ニ知内浜城取…

海津村史料 #20 閑窓随筆 (五)

●往古海津町之地 近境里人語伝ヘテ云 往古海津町ノ湊ハ西浜ノ地 大高木浜ト云所 是ナリ 湖水ノ汀岸ニ連リ海津町アリ 北国へ七里半之海道ハ高木浜ヨリ上開田村 熊路峠ヲ越テ通リタルト云々 按ニ今高木浜ヲ見ルニ古ノ人家アリシ跡トモ不見 寂莫タル寒汀 曠野ナ…

『Stand Alone』 NHK スペシャルドラマ「坂の上の雲」 三宅 由佳莉 海上自衛隊 東京音楽隊

海津村史料 #19 閑窓随筆 (三)

●庄之名古今ノ変リ称ス 海津東之庄 古ノ名嶮ノ熊ノ野庄ナリ 山中村ノ故家粟津氏所持ノ御書云 嶮熊ノ野庄ト云 後世野野ノ字ヲ 略シテ嶮熊庄ト云ナルヘシ 太平記ニ天ノ曲ト云 又里人ノ説ニ剱熊ト云 海津三町 小荒路 田谷 上ノ山 野口 茅原 国界 下村 小中村 坂…

海津村史料 #18 閑窓随筆 (二)

閑窓随筆 近境地理往事考 ●海津県之境 海津トハ近境三庄ヲ統タル惣名也 三庄ハ嶮熊野 開田 大処是也 近世庄ノ名モ変リテ今ハ海津東ノ庄 海津西ノ庄ト二ツニ分レリ 村数二十一ケ村也 其中ニ湊アリ 海津ノ湊ト称ス 此ヨリ越前国敦賀ノ津ニ通ル道筋ヲ七里半ノ海…

海津村史料 #17 閑窓随筆 (一)

関窓随筆 首 海津県地理往事考 本書及海津之城私考ハ藤田氏ノ所蔵ニ係ルヲ明治三十五年七月借覧ヲ免ザル 仍テ謄写ス 貝浜 閑窓随筆 原本 冊ハ西浜谷田八重蔵氏ノ所蔵トキク 閑窓随筆 序 淡海高島郡海津県ハ帝都ヨリ北陸道ノ道筋琵(冠部分を比と書き写されて…

海津村史料 #16

(同じく)宗正寺ニ左ノ位牌あり 海津長門守政元 裏 元亀二年三月十四日薨 内室 浅井備前守祐政娘 天正五年九月廿一日薨 表 弓光院心岸浄哲大居士 正宗院心月清玉大禅尼 饗庭局 天和元年五月八日新宗院青山浄真信女