海津村史料 #3 - 6
⒋海津村史料雑
〇(?マークの書込み)
北条九代記ニ加賀白山の社僧神輿を海津まて持ち来りしと見聞す哉
(?マークの書込み)は、「北条九代記」(正しくは「鎌倉北条九代記」)に該当箇所が無い、在るのは「源平盛衰記」三十一の「神輿登山の事」だ、との事を指しているのではないかと思う。
〇海津の浦 扶木集中の何ゝ哥ニ海津の浦の道中に云々と何々と
(欄外に)「永久百首/永久四年(1116)/十二月二十日 編集/(一行分開いて)群書類従/和歌部 二」
〇名所霙 永久百首 (メモ書き)「藤原仲實 鳥羽帝ノ御代越前守ニ任ゼラレテ」
阿良(ラウ)ち山雪気の空尓(ニ)なりぬれは貝津の里尓(二)霙ふる也
【参考】あらちやまーゆきけのそらにーなりぬれはーかいつのさとにーみそれふりつつ
(大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国際日本文化研究センター 日文研データベース「永久百首(永久四年百首)」より)
アラチ山ハ海津村ヨリ北 越前敦賀郡ニ向フ間ノ山ヲ言フ也 今敦賀郡疋田迄ノ新村名ヲ愛発村(ルビ、右側に「アイハツ」、左側に「阿らち」)ト云フハ萬葉集ニヨルルモノカト考ル 又剣熊ノ小阿らちハ小荒路トカク也 阿らちハ有茅ニシテ小荒茅カト考フ又仝村野口ノ中小字知原モ茅原ナルヘシ
〇海津村東端西峪筋ノ道路ヨリ東ノ方ハ旧浅井郡ナリシトカ 口啤ノ伝之聞エシニ 現ニ願慶寺ノ鐘ノ銘ニ浅井郡貝津トアリ 是独リ海津ノ事ニアラス 剣熊村モ即ワチ亦谷ノ西近江路筋ハ海津村ノ東端ニテ北ニ折レ峪ト一直線剣熊ノ裾部落ヲ貫キ越前ニ達ス 其東側即山傍ハ皆浅井郡ナリシナリ 今ハ山脈ノ中央最高処ヲ郡境トス 然シナガラ大前神社ハ高島郡ノ中ナリ 同説ト合値セス 可考 閑窓随筆参観セヨ
〇大字西浜モ旧ハ海津ノ西浜ト称セシナリ 大字西浜西栄寺ノ鐘ノ銘ニ海津西浜町トヤアルトノ事