弓光山宗正寺の御縁記 

     抑々 此処の御厨子内ニ安置し奉る

    本尊十一面観世音菩薩ノ来由ヲ尋奉ルニ

    当寺開基大檀那御所尼ニと申奉ハ

    藤原鎌足公ノ御孫子ニテおわし満しケル者ニハ

    観世音之御告ニヨリ泰澄大師ニ銘じ

    かやノ木ヲ以テ作ラセタ満ヘル霊像なれハ右

    大将頼朝公仏供御寄付トなり 其作元亀

    年中兵火ノ為メニ一宇不残焼失スト雖

    トモ其像ニハ無恙阿らセたまへれハ 人皆

    喜意之袂ヲなりけりとなん 其後浅井備前

    御息女被観世音ヲ深ク信し尼トなり此寺ニ

    住た満へしが太閤秀吉公伏見恙桃山ニおこし

    ます時尼公御見過ニ参り月見ノ御殿ニ

    おひて昔之語り尓涙ヲ流し御別れヲ惜み

    た満ひ 再当地ニ帰り朝夕香華ヲ供養シ

    御経読誦志満へしが終に即死也 法名

    宗正院心月清玉大禅尼ト申ハ則チ此尼公ノ

    御墓なり 然ルニ秀吉公ヨリ徳門家代々

    御朱印ヲ被下置斯由所之霊像なれハ

    各々称名諸共ニ慎んて拝礼ヲ遂ケられま

    しう

                弓光山宗正寺

    明治廿四年十月十五日